図書館について思う

 いつからかは判らないが変わったことの方に興味が沸くほうで大勢がやる中に入っての「その他大勢の中の一人」であったり「最近ブームだけど、お前もやっていたんだ」みたいな見方をされるのも好きではない。少数派的な趣味でそれをやっている人たちが比較的長くやっている、個々がそれぞれほんとに楽しんでいるみたいことにしか興味が湧かない。そんなんで人から得る情報が一番タイムリーで的確だがそれは少ない場合が多い。それで図書館に資料を探しに行くことがある。私にとっての情報源のひとつである。以前、図書館で借りた本がほしくて出版社の問い合わせたらもう絶版ですと言われたので、図書館の係の人にこの本は売らないのですかと尋ねたら売りませんと言われ300ページほどコピーしたことがある。売って新しい本でも買ったらと言ったらもう販売していない物だから図書館に置いておく価値があると言われた。それもありかと納得した。自分の例を挙げるまでもなく、世の中には色々意見があるだから形にこだわらず行うのもありと思うのだが。今現存しているかわかりませんが、週刊誌ばかりの「大宅壮一図書館」と言うのが東京にあって日本の高度成長期にテレビが全世帯に普及した時、その大宅壮一(評論家)がテレビのおかげで今に「日本に一億総白痴時代がくる」と(今、思考停止の時代と言われているが予言が当たったのか?)予言したので興味があって行った事があった。マスコミ関係の人が資料探しに来ることが多いと聞いた。入館料を幾らか払った記憶がある。最近の図書館は学生風の人や子連れの主婦に混じって年金暮らしのような人が随分増えた。新聞を丹念に読んでいたりしているので家で奥さんにうっとうしいからどこかに行って来てと言われ、パチンコをするお金もないので途方に暮れているとそう言えば図書館があったと気がついて来た風な人もいるように感じられた。これからの図書館は、こういった来館者の目的や思惑など少子高齢者社会の社会構造を鑑みこのときほど文化的な人生、社会に意見を持つ、参加する、実務的な政治が大事、ブームに乗らない、流されない考えを持つ、多種多様な意見があるのが正しい、その時々での意見を人に押し付けない、こんな考えもありますよと言う程度で強制しない。と言うような啓発の場所にすることはいいと思う。少子化で生徒が少ない学校の空き教室を利用して図書室を作り、そこの生徒との世代間交流をも考えたり~後日に続く・・・・・・・

この記事へのコメント

yanashi
2013年09月21日 22:15
図書館と図書室は違いますよね。館と室はおのずとちがいます。当別町はそれをあいまいにしています。図書館の存在が住民の一つのステータス、居住空間、その人のルーチンやノルマ、ニオイや色、静寂や雑音、ある意味空腹と満足をその人の脳みそにというより五感にわなわなと刺激してくれる存在なのではとおもっています。
本屋さんではない本屋をこの町で見てみたい。

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